ちば名産「落花生」の歴史 九十九里から印旛郡へ 【千葉地理学会連載 おもしろ半島ちばの地理再発見】

JR八街駅前の「落花生讃」碑
JR八街駅前の「落花生讃」碑

 「『ちば』と言えば?」に「落花生!」と答える方も多いと思います。

 その通り。千葉県は落花生の作付面積・収穫量ともにダントツ1位です(表)。では、なぜ千葉県での落花生生産がこんなに盛んになったのでしょうか。

 落花生は南米原産のマメ科植物です。日本には江戸時代に入ってきましたが、栽培まで至りませんでした。明治になって政府がアメリカから種子を導入し、各地に栽培を奨励し始めました。

 千葉県では1876(明治9)年に上総国草深村(現山武市)の牧野萬右衛門が導入したのが始まりです。牧野は商用で横浜に行った際に清国商人から落花生の話を聞きました。栽培に手がかからず、暖かい気候であれば土地がやせていても育つことを知り、郷土の風土に適し、農家に利益をもたらすと考えました。そして大金を払って種子を購入し、試作したところ、良好な成績を得ました。


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