日本楽器産業の先駆け 継承と活用へ修復続ける 君津の松本ピアノ 【ふさの国探宝】2017年10月2日

※この記事は2017年10月2日付の千葉日報に掲載したもので、文中の情報はすべて掲載当時のものです。

 旧常代村(現君津市)出身の松本新吉が明治時代に創業した「松本ピアノ」は、ヤマハなどと並び日本の三大ピアノメーカーと称された国内楽器産業の先駆。親子3代約100年にわたって“スイート・トーン”と呼ばれる柔らかな音色を世に送り出し、多くの人々を魅了した。市内の八重原工場が閉鎖されて10年。古いピアノの修復作業は今も続き、保存会が遺産の継承に努めている。

   ◇    ◇

 松本ピアノは、千葉県君津出身の松本新吉(1865~1941年)が1892年に東京で創業したピアノメーカー。1924年に工場を旧八重原村(現君津市)に移し、2007年に閉鎖するまで、親子3代の名匠がピアノ作りに情熱をささげた。今は3代目の新一さん(82)と次女の花子さん(45)が市民と共に同社製品の修復を続け、よみがえったピアノは、保存会や市が開くコンサートで歴史ある音色を響かせている。

 「人間の指はすごく敏感。指で触って感覚で、こうやってね」。君津市立周南中学校の木工室。松本ピアノの修復工房となっているこの場所で、新一さんが部材の磨き作業を続ける黒沢美英子さん(45)らにコツを教える。

 大量生産の波に押され、八重原工場が閉じて10年。新一さんは、工場閉鎖に伴い市に寄贈した古いピアノなどを修復し続けてきた。新一さん指導の下、ピアノを修復する同校の選択授業や周南公民館の講座も開かれ、これまでに計約15台がよみがえった。

 現在も別のピアノの修復が続いており、3年前に都内の楽器店を辞めて君津に戻った花子さんは「父の職人技をできる限り習得したい」と、調律師の仕事の傍ら研さんを積む。参加した公民館講座で魅力に引き込まれた黒沢さんらも作業に携わる。

 松本ピアノは明治時代、ヤマハ、西川と並び国内3大ピアノメーカーと称された。米国で修行後、本格的にピアノ作りを始めた初代の新吉は、東京・築地の ・・・

【残り 742文字、写真 4 枚】



  • Xでポストする
  • LINEで送る