2021年5月18日 21:16 | 有料記事
子どもの頃は母が大嫌いだった。大人になってもなお、年老いた母が死んでからでさえ「大嫌い」が「嫌い」にトーンダウンしただけで、私は母を嫌い続けて生きている。それは、まるで呼吸を止めないのと同じように。
母は誰かの悪口ばかりを言っていた。悪口は母の顔を醜悪なものにした。もしも願いが叶うのなら、醜い顔の片鱗すら思い出したくはない。けれど、どんなに願っても、ふとしたはずみで母の顔が目に浮かぶときがある。白米に麦の混じった炊きたてのごはんを見たときには、必ず母を思い出すのだ。だから私は麦 ・・・
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