17歳ベトナム少女の母に 難民引き取り先なく決意 木更津・児童養護施設「野の花の家」花崎みさを理事長(82) 【ボーダーレス家族】(2)

ベトナムから来た難民の少女と暮らした家の玄関に立つ花崎みさを=2024年9月、木更津市(共同)
ベトナムから来た難民の少女と暮らした家の玄関に立つ花崎みさを=2024年9月、木更津市(共同)

 1970年代後半、カンボジアではポル・ポト政権下、多くの人々が虐殺された。当時、東京で働いていた花崎みさを(82)はある日の昼休み、親元を離れ難民として国外に逃れる子どもの新聞記事を読んでいたたまれなくなった。スイスの国際児童養護施設「ペスタロッチ子どもの村」で69年から約1年間働き、帰国後も抱き続けていた「アジアと日本の子が共に住める家をつくりたい」という思いに火が付いた。

 村は花崎が勤務していた当時、12カ国の戦争孤児らを受け入れ、毎月、一つの国の子どもたちが担当となって自国の文化を紹介するイベントを開いていた。花崎が花笠音頭を子どもたちに教えたこともある。文化の相互理解に役立ち偏見をなくせると、村を理想の一つとみていた。

 「何かしなければ」。当てもなく旧厚生省や外務省を回り、具体的な計画もないまま思いを伝えた。ある官僚は「アジアの ・・・

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