戦乱乗り越え「発酵中」 希少木桶とつなぐ歴史 名産地の味噌蔵(佐倉) 【昭和100年 時超え令和へ千葉の物語】(12)

「佐倉はおみその産地です」の看板が目を引くヤマニ味噌の木造店舗。2階の柱にはB29の機銃掃射による流れ弾と弾痕が残る=佐倉市
「佐倉はおみその産地です」の看板が目を引くヤマニ味噌の木造店舗。2階の柱にはB29の機銃掃射による流れ弾と弾痕が残る=佐倉市
1940年ごろの味噌蔵前の様子。木桶は長いもので100年以上使われ、終戦前には穴を掘って埋めるアイデアが飛び出していた(ヤマニ味噌提供)
1940年ごろの味噌蔵前の様子。木桶は長いもので100年以上使われ、終戦前には穴を掘って埋めるアイデアが飛び出していた(ヤマニ味噌提供)

 江戸を支える佐倉藩の城下町として栄えた佐倉市は味噌(みそ)の名産地。昭和の戦乱に入るまで味噌蔵が集い、現在は唯一存続するヤマニ味噌が創業から130余年、希少な杉の大桶で昔懐かしの味と香りを残してきた。「佐倉はおみその産地です」。同社が戦後に掲げたキャッチコピーには、やむなく途絶えた同志の思いが込められている。

 「100年前からの木桶や『種味噌』で仕込むことでうちだけの骨太なうまみが出せる」。同社専務取締役の藤川茂さん(50)は、創業時の昔ながらの味わいを受け継ぐため伝統の製法を守ってきたと力説する。業界の流行から外れても、仕込み済みの味噌を発酵・熟成の種として新たな味噌に加える「種味噌仕込み」や酵母菌が住み着く木桶での仕込みにこだわってきた。

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