2024年12月12日 05:00 | 有料記事

豊原国周画「神田三崎町 東京座中幕 国性爺和藤内 市川團十郎」明治29年(1896) 国立歴史民俗博物館蔵
17世紀、滅び行く中国の王朝、明を支持し清に抵抗した鄭成功(てい・せいこう)。その死から50年後の日本で、近松門左衛門が人形浄瑠璃のモデルとして描き、人気を博す。19世紀末から20世紀前半にかけては、日本が「明の忠臣」や「外敵を追い払う」イメージを台湾統治の正当性を示すために利用した。
さまざまなイメージが語られる鄭成功を通し、台湾と日本の歴史と文化のつながりを紹介する特集展示「歴史・文化の中の鄭成功」が国立歴史民俗博物館で開かれている。
同館によると、鄭成功(1624~62年)は、貿易集団のリーダーの父と日本人の母の間に平戸(現在の長崎県)で生まれた。幼い ・・・
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